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2024年1月9日「2024年世界情勢予測」激動の国際情勢に日本企業はどう対応すべきか? <2024年2月13日開催>
2024年3月22日日本の官民に浸透したかのようにみえる「経済安全保障」という概念。しかしながら産業分野や企業ごとに解釈が異なっており、企業として何を把握すべきか、対策を打つためにどのような体制を構築すべきかなど、現場には様々な課題が山積しています。今回の勉強会では丸紅経済研究所の玉置浩平氏をお迎えし、各国の政策動向を踏まえた経済安全保障の捉え方、最前線となっている自動車産業への具体的な影響、企業が経済安全保障に向き合う上でのポイントなどを考察しました。同時に株式会社FRONTEO 経済安全保障室 戦略チームの永田麻紀子からは、中国のユニコーン企業を例にKIBIT Seizu Analysis(キビット セイズ アナリシス)を活用したサプライチェーンの解析事例を紹介しました
丸紅株式会社 丸紅経済研究所 シニア・アナリスト
玉置 浩平
外務省に入省後、朝鮮半島、宇宙・海洋安全保障、国際原子力協力等に関する外交政策の企画・立案に従事。在大韓民国日本国大使館では北朝鮮情勢や韓国政治・外交に関する情報収集等を担当。2021年に丸紅株式会社に入社し、経済安全保障や地政学リスク等に関する調査研究や政策渉外業務に従事。東京大学法学部卒業、タフツ大学フレッチャースクールLL.M.修了(国際法修士)。
株式会社FRONTEO
経済安全保障室 戦略チーム
永田麻紀子
早稲田大学法学部卒業。シティバンクにて、リレーションシップマネジャーとして顧客の資産管理、投資コンサルタント業務を担当。BNPパリバ証券株式会社にて、フィックスドインカム部門で部長代理として法人営業に従事。リーバイ・ストラウス ジャパン株式会社にて、リテールおよびホールセール業務を経験。現在、株式会社FRONTEO経済安全保障室 戦略チームにて、主に民間企業を担当し、顧客の経済安全保障上の課題解決や戦略立案をサポートしている。
◆分かっているようで分かっていない“経済安全保障”の意味
自動車産業の事例を見る前に、事前知識として「そもそも経済安全保障とは何か?」を明らかにしておきましょう。
玉置氏(以下敬称略):経済安全保障は、米中対立をはじめとする地政学的対立の激化と経済活動の複雑化という、ある意味では相反する2つの動きから生まれた概念です。この2つの動きが交わる中で、国家は政治的目的のために経済的手段を活用するようになり、経済的相互依存が脆弱性の原因となってしまいました。経済安全保障は安全保障の観点(レンズ)で経済活動を捉えることであり、例えば、日本政府は経済安全保障を「我が国の平和と安全や経済的な繁栄等の国益を経済上の措置を講じ確保すること」と定義しています。かなり曖昧な表現ですが、その元となる安全保障の概念と同様、どうしても曖昧にならざるを得ない部分があるのです。
曖昧な部分を残す経済安全保障ですが、その政策内容は具体的にどのようなものでしょうか。考えるべきポイントとして、玉置氏は3つの領域を挙げました。
玉置氏:第1は「技術」です。その目的は競合する他国に対する優位性を確立し、相手国の技術発展を阻止すること。第2は「インフラ・ネットワーク」で、安全性を確保して経済社会機能の混乱を回避することが目的です。第3のポイントは「サプライチェーン・産業基盤」。重要な物資を自国内で生産するほか、自国で生産できない物資を信頼できる他国から調達することを目指しています。この3つの領域に対し、各国が採っている政策手段も3つに整理できるのではないかと思います。1つは補助金などによる「産業政策」、2つ目は企業活動に制限を加える「規制政策」、そして最後は通商政策や経済外交など、国家間のレベルで打ち出される「対外政策」です。
経済安全保障の概念は1970年代から1980年代にも議論されましたが、近年新たに注目を集めるようになりました。
玉置氏:日本で議論が活発化したのは2019年頃からですね。政治主導で議論が進み、政府が様々な担当部局を設置したのです。コロナが発生し、実際にサプライチェーンが分断されたことも意識を高めるきっかけとなりました。岸田政権になってからは経済安全保障担当大臣が置かれ、経済安全保障推進法も成立。国家安全保障戦略の枠組みの中にも位置付けられました。議論が加速した背景には、ロシアのウクライナ侵攻、台湾情勢など地政学的な緊張の高まりもあるでしょう。そして現在は、国際連携が強化されている段階。G7広島サミットの首脳声明や欧州経済安全保障戦略の発表など、国際的な動きが顕著になっています。
◆経済安全保障の最前線にある自動車産業。その課題はどこにある?
自動車産業はCASE(「Connectedコネクテッド」「Automated/Autonomous自動運転」「Shared & Serviceカーシェアリング/サービス」「Electrification電動化」)による変革期の最中にあります。懸念の背景にあるのは、中国をめぐる地政学的な緊張と業界構造の変化(=中国の伸長)。中国を念頭に置いた場合、先に挙げた3つの領域はそれぞれに大きな課題を抱えています。
玉置氏:最初は「技術」について。これまでの自動車業界では、成熟技術を効率よく組み合わせて大量生産することが重視されていました。ところが今は、技術の焦点が自動運転やAI、微細化が進む半導体など先端技術にシフトしています。それらの軍事用途への転用や、競合国にチョークポイントとなる技術を握られることが警戒されている。これまでは主に中国への技術移転や流出が課題とされてきましたが、中国企業の躍進に伴い、今後は中国からの技術移転に制限が加えられる可能性もあります。
2番目の「インフラ・ネットワーク」の課題は、ネットワーク接続によって自動車が交通インフラの一部になることに起因します。サイバー攻撃に対応すべく、セキュリティに対する要求はますます高度化するでしょう。また、個々の自動車が蓄積する膨大なデータはスパイ活動や監視活動に使われる危険性があるので、管理はより厳格化されつつあります。例えば、米連邦下院の中国特別委員会は、中国のLiDAR技術(高精度のリモートセンシング技術)に国家安全保障上の懸念があると報告しています。一方、中国が米国のテスラ車に対して運用制限をかけているという断片的な報道もあり、双方でこうした動きが広まる可能性があります。
最後の「サプライチェーン・産業基盤」の課題は、EV化によってサプライチェーンの構造が大きく変化したことに起因します。中国は重要鉱物、バッテリー、レガシー半導体などでシェアを拡大してきました。先進諸国は補助金による国内生産の強化や調達先の多様化を進めていますが、中国企業が国内市場の不振で輸出や海外進出に力を入れることで、今後、通商面での摩擦はさらに激化するかもしれません。
経済安全保障は、その観点(レンズ)によって捉え方が変わってきます。玉置氏は今、特定のレンズが経済安全保障のスコープを拡大しつつあると指摘しました。
玉置氏:それはナショナリズムというレンズです。このレンズを通すと、自国と相手国の利益が衝突するというゼロサム的経済観に陥りがちになります。グローバル化への反発とも言え、保護主義との結びつきも強くなる。その結果、同盟国や友好国であっても対抗しようとする可能性が出てくるわけです。最近だと鉄鋼メーカーを巡る日米間の問題が当てはまりますね。もとより自動車は多くの国で基幹産業ですから、保護に対する政治的な関心は大きくなります。今年は世界的な選挙イヤーですから、自動車産業の政治化リスクは例年以上に注目されるでしょう。
続いて取り上げたのは、市場別の論点と見通しです。自動車産業における中国企業の躍進は、各市場で困難な政治問題に発展するかもしれません。
玉置氏:先進国市場では各国が補助金や追加関税などで中国企業に対抗しようとしますが、コスト競争力や技術力の差が大きければ効果は限定的でしょう。環境や人権、セキュリティ視点での規制も進みますが、安価な中国製品の排除はEV普及を遅らせるという批判もあります。また中国企業の現地進出に対しても、各国の政策は流動的。産業立地のメリットと、中国の影響力拡大というデメリットの両方があるからです。
では、中国市場はどうでしょうか? 外資にとっては、中国企業の高い競争力や他国の規制への対抗措置、中国側から見たセキュリティ上の懸念がリスクになり、厳しい状況が続くかもしれません。中国市場でのシェア縮小は他市場での競争の原資を奪いかねません。素材・部品の中国依存低減にも時間がかかるでしょう。
最後は新興国・途上国市場です。これらの市場では中国に対する警戒感が低く、産業振興の観点から現地進出を歓迎する傾向にあります。一方、先進国企業は現地で中国企業と協業すべきか、難しい判断を迫られるでしょう。また、中国とは直接の関係はありませんが、資源ナショナリズムの台頭も気になりますね。
◆経済安全保障がもたらすリスクを考慮し、適切な対応策を
国家が主導する経済安全保障は、グローバルに活動する企業にとって足枷にもなりえます。考えられるリスクはどのようなものでしょう?
玉置氏:経済安全保障のリスクは、広義には地政学リスクの一部とも言えます。ただ、あえて比較してみると、その性質が分かりやすくなると思います。一般的な地政学リスクのイメージは、国家レベルの紛争・対立が経済活動に波及することであり、クーデターや戦争などのイベントに焦点が当たる。根っこには地域固有の問題があり、一旦顕在化すればリスクの可視性も高いのが特徴と言えるかもしれません。対して経済安全保障リスクは、経済活動そのものが国家介入の対象となり、政策に焦点がある。サプライチェーンなどグローバルな影響に重点が置かれ、影響の経路が複雑なため可視性は低い。
では、一般的な規制リスクとの比較ではどうか。通常の経済政策としての規制と比べると、経済安全保障上の措置は国際ルールから逸脱することもありますし、安全保障に関する政策なので透明性は低い。やはり異なる部分があると思います。
重要なのは、リスクの名称・分類そのものではなく、経済安全保障がもたらす新たなリスクの性質について、社内の関係者が十分に理解し、対応の「共通言語」を持つこと。そのために、それぞれのリスクのイメージについて、事前に擦り合わせておくことが大切なのです。
玉置氏は、企業が安全保障のレンズを内在化する必要があると指摘した上で、具体的な対応のポイントとして「3つのC」を提言しました。
玉置氏:第1のCは競争環境(Competitive Environment)。つまり、安全保障のレンズで自社を「見る」ことです。経済安全保障を意識した企業対応はリスク管理に傾きがちですが、そこには情勢変化による新たな成長機会も含まれています。新製品を生み出すきっかけになるかもしれないし、新しい市場を開拓する可能性もあるでしょう。第2のCはコンプライアンス・企業責任(Compliance & Corporate Responsibility)。安全保障のレンズを通じてステークホルダーに「見られる」ことを意味します。規制の遵守と責任ある企業行動の徹底ですね。最後のCはコミュニケーション(Communication)、すなわち安全保障のレンズを使ってステークホルダーに「見せる」こと。例えば、自国や他国の政府に働きかけ、望ましい事業環境を醸成する必要があります。投資家に政策の影響や対応戦略についてしっかり説明することも重要です。
最後に、経済安全保障に関する社内の体制整備について触れておきましょう。近年、大手企業では社内に担当部署を設ける動きがあります。ただ、各企業で事情が異なるため、単一モデルを想定するのは難しい。専門部署を設置する、社内に委員会を作る、従来の部署が担当するなど様々な考え方がありますが、各社の状況に応じて自社に相応しい体制を構築するのが重要だと思います。
◆モデレートディスカッションと質疑応答
講演の最中、参加の皆さんから興味深い質問が寄せられました。数例をご紹介しましょう。
1.米国のインフレ抑制法(IRA)が自動車のサプライチェーンに与える影響は?
玉置氏:IRAではEVを購入した消費者に税額控除が認められていますが、控除のためには自動車生産に関する多くの条件をクリアする必要があります。例えば、最終組み立てが北米で行われることや、部品の供給元に対する制限などがあります。懸念される国や企業からの供給が一定割合以上だと、控除の対象になりません。難しいのは、間接的に中国の影響を受けている場合も制限に含まれること。例えば、中国との合弁企業が作った部品が含まれると控除が認められない可能性があります。控除の対象にならなければ米国内での競争力が落ちてしまうし、それを防ぐための管理コストも上がります。企業は上流の段階から組む相手を考える必要があるでしょう。
2.ドイツ自動車メーカーの中国依存についてご意見をお聞かせください。
玉置氏:中国市場に依存しているということは、ある意味これまでは販売が好調だったとも言えますが、今後はシェアをどこまで維持できるかが課題になると思います。また、EU全体としては中国からのEV輸入にどう向き合うかという問題があり、例えばフランスは輸入制限に前向きです。一方、中国との関わりが深いドイツは異なる立場だと言われています。EUに限らず、中国市場の位置付けの違いにより、各国間での政策調整が難しくなる場面があるかもしれません。
3.中国は日本が開発したリチウムイオン電池の市場を席巻しました。日本が再び世界をリードすることはできるでしょうか?
玉置氏:技術で勝ってビジネスで負けたという言い方がされることがありますが、新しい電池分野でリードできるとすれば、技術開発のスピードと生産規模の両方で優位に立てたときです。そのために様々な政策措置が動員されるでしょうが、各国共に支援を強化している中での競争となるため、道のりは険しいでしょう。例えば、日本政府は重要物資に関する設備投資のみならず生産コストについても企業を下支えしようとしていますが、これは米国のIRAを参考にした措置です。このように他国の政策が自国の政策に影響を与えることはよくありますので、その意味でも企業が各国の政策動向をウオッチすることは必要だと思います。
◆中国のユニコーン企業「Sense time」のサプライチェーン解析
FRONTEOの永田はディープランニング技術を応用した人工知能と顔認識技術を手がける中国企業Sense time社に焦点を当て、当社が開発した経済安全保障対策ネットワーク解析システム「KIBIT Seizu Analysis(キビット セイズアナリシス)」の活用例を紹介しました。
永田:Sense time社は技術の高さを売りにした企業で、過去には日本の自動車メーカーと共同研究していたこともあります。同社は米国財務省外国資産管理局により、ウイグルにおける人権侵害に関与したとして非SDN中国軍事・産業複合企業リストに掲載されました。では、上流にあたる株主支配解析を見てみましょう。2023年10月のデータでは、中国のアリババグループから14.6%、日本のソフトバンクグループから19.2%の出資を受けていることが判明しました。
永田:一方、下流を見るとまた別の側面が見えてきます。日本企業とのサプライチェーンでは、Tier1にICT企業が1社、Tier2では同社に顔認証システムなどを導入している企業が78社もあることが明らかになりました。
永田:興味深いのは、Tier2まで取引のある米国企業が現れなかったことです。Tier3になると米国自動車メーカーの名が出てくるので、日本企業を介して技術を使用している可能性は否定できません。競合他社や米国企業がどのようにビジネスを行っているか、しっかり把握することが重要だと考えます。