「経済安全保障に関する海外の最新動向《前編》」経済的威圧への対処、半導体を巡る国際動向、先端技術に関する国際政治ダイナミクスについて <2023年6月21日開催>
2023年8月1日「減速する中国経済が引き金となる“台湾有事勃発の可能性”」そのとき習近平政権は世界に好戦的になるのか、好意的になるのか <2023年9月29日開催>
2023年10月18日2023年8月の経済安全保障勉強会は、6月に実施した「経済安全保障に関する海外の最新動向」の後編にあたります。G7広島サミットを経て一層機運の高まる経済安全保障対策において、諸外国はどのような動きを見せているのか。後編では米国における対中投資規制の話題を中心に、存在感を増してきたQUADの最新事情、新たに出てきたディスインフォメーション(偽情報)の対策リスクなど、企業が経済安全保障対策に取り入れるべきポイントを取り上げました。前編に引き続き、解説していただくのはグローバルな経済安全保障の第一人者である東京大学先端科学技術研究センター 特任講師の井形 彬先生。併せてFRONTEO取締役山本麻理からは、「デカップリングされていない米国企業と中国企業の実情」についてFRONTEOのAIを用いた解析事例を紹介しました。
東京大学先端科学技術研究センター 特任講師
井形 彬
米国シンクタンクのパシフィック・フォーラムAdjunct Senior Fellowや、豪州戦略政策研究所(ASPI)Senior Fellow、国際議員連盟の「対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)」経済安保政策アドバイザーを兼務。また、食料安全保障の観点から細胞農業研究会の事務局長として産学官の議論をまとめる。その他様々な立場から日本の政府、省庁、民間企業に対してアドバイスを行う。専門分野は、経済安全保障、人権外交、インド太平洋における国際政治、日本の外交・安全保障政策。
株式会社FRONTEO 取締役/AIソリューション事業統轄 兼 社長室長
山本 麻理
広告代理店に入社後、リスクマネジメント会社に在籍。メンタルヘルスケア事業を立上げ、事業計画、商品開発、マーケティング、営業戦略を実行し業界トップシェアへと導く。2014年に同社取締役に就任し、2017年に東証一部上場を実現。2018年12月より株式会社FRONTEOに参画、2020年取締役に就任しAIソリューション事業全域を管掌・指揮。
♦対内投資規制から対外投資規制へ。変化が見えてきた米国の動向
ここ数年、各国は中国からの対内投資規制を強化してきました。その先陣である米国では、経済安全保障上の懸念があるAIや量子、半導体といった技術を研究している中国企業に対し、米国企業が投資を通じてその成長を促すことに反対する動きが強まっています。
井形氏(以下敬称略):米国の対中投資規制は突然出てきた話ではありません。2022年12月、「問題のある共産主義資本への投資を切り捨てる法案」が上下両院に提案されました。法案タイトルの頭文字を取った“DITCH”には、「見限る」や「切り捨てる」という意味があります。内容は、年金連合会やNGOなど課税控除対象の団体が「中国共産党に近い中国企業へ投資する」ことを禁じるというもの。この法案は2023年8月に再提案されています。大統領選挙を控えて中国に対し弱腰だと思われるような法案は出せなくなっていますから、同様の法案は今後も増えてくるでしょう。また上院では2023年7月、共和党の対中強硬派であるマルコ・ルビオ議員が「米国連邦政府職員の年金ポートフォリオから中国企業を外す超党派の試み」という発案を行いました。米国人の金を中国に入れるな、という趣旨です。僅差で否決されましたが民主党の賛成票も多かったため、似たような法案が通る可能性はあります。ルビオ議員はIPAC(対中政策に関する列国議会連盟)のメンバーでもあるので、国際的な同調圧力をかけてくると予想されます。
同様の動きはまだ続きます。2023年7月31日には世界有数の資産運用会社であるブラックロックとモルガンスタンレーに対し、米下院で中国問題を扱う特別委員会が調査を開始したことを発表しました。
井形:両社が米国政府のエンティティーリストのようなブラックリストに掲載されている中国共産党関連企業に、米国の資本が流れ込むのを促しているという主張です。ブラックロックに対しては20社、モルガンスタンレーに対しては数十社の名を挙げ、資本流入疑惑に対する回答を求めています。米国が「悪い中国に与するウォールストリート」に対する締め付けを、ジワジワと強めているトレンドが見えてきました。
こうした対外投資規制の動きが誰の目にも明らかになったのは、2023年8月9日、バイデン大統領が署名した「中国企業に対する米国からの投資を制限する」大統領令でした。
井形:この大統領令、実は投資先の国を中国とは明記していません。特定の「懸念国」とし、中国・香港・マカオを指定するに留めています。また、全ての企業に対する投資を禁止しているのではなく、経済安全保障上、重要な技術である半導体・量子コンピューター・AIのみが対象となっています。取引を完全に禁止する企業もあれば、政府への届出を義務付ける企業もあるなど、規制の内容にも幅があります。つまり全体の枠組みはざっくりとしたもので、細部はまだ詰められていないのです。今後の課題は、この規制が本当に実行できるかどうかでしょう。私が意見交換しているある政府職員は、最初は「できる」と答えていたものの、最後は「違反した企業を把握できないかもしれない」とトーンダウンしていました。直接投資ではなく複数の企業を経由して対象企業に投資していたら、証拠を掴むのが難しいからです。FRONTEOを持ち上げるわけではありませんが、現実問題として投資をトラッキングできるシステムが必要だと思います。さらに大きな問題は、この規制を実行したら米国は他国にも同様の圧力をかけてくる、ということです。日本は今のうちにどう対応すべきかを考えておくべきでしょう。
♦様々な思惑と深謀遠慮。各国はこぞって経済安全保障政策の立案を進めている
対外規制以外のトピックとして、井形先生は4つの項目を取り上げました。見えてきたのは経済安全保障の枠組みの中で、各国がプレゼンスを発揮しようとしている姿です。
井形:1つ目のトピックは、経済安全保障の枠組みとして「QUAD(日米豪印戦略会議)のプレゼンス」が高まってきたこと。インド太平洋地域にいくつもある“先端技術の標準作りの場”でインドの発言力が増し、本気を見せつつあるのです。また、これまでのQUADは中国やロシアから「アジア版NATO」と呼ばれていましたが、情報共有の形がインテリジェンスへと向かっているので、今後は「アジア版ファイブ・アイズ」と言われるかもしれません。2つ目のトピックは「アラスカの重要性」。東アジアに最も近い米国はアラスカですし、米国はアラスカ産のLNG(液化天然ガス)をアジアに輸出しようとしています。LNGは特定重要物資の一つですから、そのインフラを作る日本企業には支援金が出る可能性があります。その点は重要鉱石も同様ですね。精錬所をどうするかという問題は残りますが、日本企業が参画するチャンスだと思います。
続く話題は半導体とセキュリティー・クリアランス。どちらも日本にとって大きなテーマです。
井形:2023年7月から、日本とオランダは中国に対する半導体製造装置の輸出規制を実行しました。3つ目のトピックはそれに対する「中国の姿勢」です。前回、私は中国が取れる最善の対抗策は日本とオランダに反撃しないことだと解説しました。「悪いのは米国だから、私たちは私たちで仲良くしましょう」という提案です。先のことは分かりませんが、現時点ではその通りになっています。日本がどのように対応するか、気になるところです。最後のトピックは「セキュリティー・クリアランスを巡る議論」。現在、一部の官僚に対してはクリアランスが出るシステムになっていますが、それを民間にも広げようという話です。経済安全保障担当の高市大臣は特定秘密保護法の改正を否定したので、経済安全保障推進法の改正で対応するようです。来年の国会で法案が通るか、微妙なところですね。
♦世界経済を揺るがす“ディスインフォメーションの脅威”にどう対抗するか
ディスインフォメーションには情報自体が誤っているという軸と、悪い意図を持って偽情報を拡散するという2つの軸があります。井形先生はこの2軸が経済安全保障と深く関わっていることを、具体例を挙げて説明されました。
井形:2023年8月、日本政府が「AIを使った偽情報の探知技術」を経済安全保障推進法の特定技術に指定する、というニュースが流れました。ディスインフォメーション対策が経済安全保障上、重要であることを政府が認識し始めたわけです。実際のディスインフォメーションがどういう形で現れているのか、具体例を挙げて説明しましょう。取り上げたのは、中国へのレアアース・レアメタル依存を低減しようとしている鉱業関連企業に向けた集中攻撃。フェイクニュースやミーム(画像や動画による拡散)を使い、環境面や健康面の不安を煽る投稿がツイッター(現X)やフェイスブックに大量に出回ったのです。偽アカウントを使って情報を流したのは、中国共産党との関わりが疑われる特定のグループでした。中国がディスインフォメーションを用いてデカップリングに対抗し、自国への経済依存を維持しようとしていることが推察できます。
ディスインフォメーションの問題は他人事ではありません。攻撃は日本にも及んでいます。井形先生は、オーストラリアのある研究機関が発表した内容に言及されました。
井形:日本の原子力発電所から出る処理水を巡るディスインフォメーションです。ミームこそ違っていますが、全く同じ文章を使って日本を攻撃している数十もの偽アカウントが公表されたのです。ゴジラを使っている点からも、何を言おうとしているかは明白ですね。中には、中国共産党に対して批判的なことを発言しているアクティビストを批判するコメントも混じっていました。日本を対象にした事例は他にもあります。韓国で話題になったのは、「IAEA(国際原子力機関)が日本から献金を受け取った」というディスインフォメーション。日韓関係の信頼関係を損なう目的で行われたと考えられます。また、2年前には「台湾政府が日本の処理水を受け入れる」という怪文書や、「台湾のサイバーセキュリティ会社が日本企業を攻撃した」という偽情報が拡散しました。この2つは日台関係に影響を与えることを狙ったディスインフォメーションです。
日本では8月から、処理水の海洋放出が始まりました。ディスインフォメーションの拡散は今まで以上の脅威になりかねません。どういう対策が有効なのでしょうか?
井形:今後は政府や原発だけでなく、日本企業もディスインフォメーションの脅威にさらされるでしょう。国内では官民双方でディスインフォメーションに対する理解と対抗する能力の向上が求められますし、海外との連携強化も欠かせません。私は各国がディスインフォメーション対策に動き始めている今こそ、日本のPR会社に大きな優位性があると考えています。彼らは既に、炎上リスク対策のノウハウやSNSをトラッキングする技術を持っているからです。各国政府にアピールする好機と捉えてほしいですね。
♦ネットワーク解析から見えてくる“米国企業と中国企業の実情”
FRONTEO山本からは「デカップリングされていない米国企業と中国企業の実情」をテーマに、当社が開発した経済安全保障対策ネットワーク解析システム「KIBIT Seizu Analysis(読み:キビット セイズアナリシス)」の活用例を紹介しました。
山本:最初にご覧いただくのは、米国企業における半導体分野の国別シェアです。取り上げたのはTESLA。中国依存度の高さはよく知られていますが、上流1階層目の16%を中国企業が占めていました。他国に比べても高い数値です。
次は、車載情報システムを開発・販売している中国のiFLYTEK。音声認識技術を強みとするAI企業ですが、米国では3つの制裁リストに掲載されています。1次販売先にあたる下流1層目に米国企業は出てきません。
ところが下流2階層目になると、米国の自動車関連企業が10社も現れます。直接取引はしていませんが、間接的にビジネスを行っているのです。
さらに深掘りすると、下流2階層目には日本企業も並んでいます。米国の自動車関連企業は日本企業を経由してiFLYTEKの技術を買っている事実が明らかになりました。日本企業にはこの流れが見えていないのかもしれませんが、米国の制裁を受けかねない危険な状況といえるでしょう。iFLYTEKの例は日本企業だけでなく、欧州の企業にも当てはまります。他国の企業がどういう取引をしているのかを見たうえで、自社を巡るネットワークに注意を払っていただきたいと思います。