【経済安全保障対策取り組み動向調査】日本企業における経済安全保障対策の進捗―経済安全保障推進法施行から1年、日本企業に起こった変化とは―
2023年7月31日「経済安全保障に関する海外の最新動向《後編》」経済安全保障に関する最新論点 ~米国の対中投資規制とディスインフォメーションの脅威について~ <2023年8月22日開催>
2023年10月18日5月19日から3日間にわたって開催されたG7広島サミット。ウクライナのゼレンスキー大統領が参加するなど、政治的にも経済的にも大きなインパクトがありました。発表された「経済的強靭性及び経済安全保障に関するG7首脳声明」では、強靭なサプライチェーンの構築をグローバルに推進することと、国際的なルールを損なう有害行為への懸念が改めて提示されています。今回の経済安全保障勉強会《前編》では、近年とくに関心が集まっている3つのトピック(経済的威圧、半導体、先端技術)を取り上げました。講師にお招きしたのは、グローバルな経済安全保障の第一人者である東京大学先端科学技術研究センター 特任講師の井形 彬先生。併せてFRONTEO取締役山本麻理からは、「中国 陝西省による株主支配例」についてFRONTEOのAIを用いた解析事例を紹介しました。
東京大学先端科学技術研究センター 特任講師
井形 彬
米国シンクタンクのパシフィック・フォーラムAdjunct Senior Fellowや、豪州戦略政策研究所(ASPI)Senior Fellow、国際議員連盟の「対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)」経済安保政策アドバイザーを兼務。また、食料安全保障の観点から細胞農業研究会の事務局長として産学官の議論をまとめる。その他様々な立場から日本の政府、省庁、民間企業に対してアドバイスを行う。専門分野は、経済安全保障、人権外交、インド太平洋における国際政治、日本の外交・安全保障政策。
株式会社FRONTEO 取締役/AIソリューション事業統轄 兼 社長室長
山本 麻理
広告代理店に入社後、リスクマネジメント会社に在籍。メンタルヘルスケア事業を立上げ、事業計画、商品開発、マーケティング、営業戦略を実行し業界トップシェアへと導く。2014年に同社取締役に就任し、2017年に東証一部上場を実現。2018年12月より株式会社FRONTEOに参画、2020年取締役に就任しAIソリューション事業全域を管掌・指揮。
♦自由主義経済圏で進行する“経済的威圧への対処”
G7広島サミット以降、政治経済系のメディアでは“経済的威圧”という単語が目に付くようになってきました。国際的なフォーラムにおいても、「経済的威圧にどう対抗するか」というテーマで活発な議論がなされています。
井形氏(以下敬称略):G7広島サミットでは、メインの共同文書とは別の形で成果文書がまとめられました。そこに書かれているのは「経済的威圧に対する調整プラットフォームの立ち上げ」です。まだ情報共有や連携を決めた段階ですが、経済的威圧がG7の議題となった点に注目すべきでしょう。EUでは「反威圧手段規制案(ACI)」が政治的合意に達しました。これは、第三国がEU圏内の一国に威圧をかけてきたら、まずEUが対話による解決を図り、それで止まなかったらEU全体で経済的威圧を実行するという内容です。もう一つは「経済安全保障強化に向けたアプローチ」。EU全体として経済安全保障に関する長期的な戦略ができました。また、米国が主導する経済圏構想であるインド太平洋経済枠組み(IPEF)では、「早期警戒システム」の設立が決定。これはサプライチェーン混乱の兆候を見つけた国が、IPEF全体に注意喚起を行う仕組みです。関税は対象外であることで経済効果が見えにくいという課題のあるIPEFですが、今後は経済安全保障の点で重要な枠組みになるかもしれません。最後は、Five Eyes(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)と日本が出した「貿易関連の経済的威圧と非市場的な政策や慣行に対する共同宣言」。具体的な取り決めはこれからですが、G7の合意と整合しつつ、非市場的な政策に関する具体的な懸念や取り組み方針が盛り込まれています。
G7、EU、IPEF、Five Eyesのすべてに関わろうとしている日本でも、経済的威圧に対処する機運が高まっています。井形先生は、各国政府が進める具体的な対応策として3つのテーマを取り上げました。
井形:一つは「サプライチェーンの強靱化」です。最初から中国依存を減らしておけば、今後は取引しないと言われても、痛くも痒くもありません。ただし、そのためには製造拠点の国内回帰、信頼できる国々へのサプライチェーン多様化、早期警戒によるプランニング変更が必要となります。もう一つは「被害に対する補填」。これは政治的な理由で輸出入が影響を受けた場合に利用できる経済的威圧保険です。また、補填の意味では相互購入システムの制度化も進んでいます。リトアニアと台湾が仲良くしたら、怒った中国がリトアニア産のラム酒を買わなくなってしまった。だったらうちが買いましょうと、台湾が国を挙げた販促キャンペーンを打った例があります。最後は「経済的威圧への報復措置準備」。あらかじめ該当国におけるサプライチェーンの脆弱性を分析しておき、もしルールを破って威圧したら、自国もこんな被害を受けることになるという“シグナリング”ですね。こうした取り組みは企業活動にも大きな影響を与えます。経営者や広報担当の皆さんは、マクロな情報を収集したうえでパブリックコメントを発信する必要があるでしょう。
G7で合意した「強靱なサプライチェーン構築」は、各国で最も対応が進んでいる分野。日本も1兆円規模の予算を付けて推進している最中です。中心となるのは政府が提示した11分野に及ぶ特定重要物資ですが、井形先生はそこに現れたある課題を指摘されました。
井形:例えば半導体には3686億円の予算が割り当てられ、既に10件のプロジェクトが決定しています。蓄電池には3316億円が投入され、15件ものプロジェクトが決定済み。一方、重要鉱物には1058億円が割り当てられていますが、まだ1件も決定していません。おそらく、自社が該当し、補助金を受ける可能性があることに気付いていない企業が多いのではないでしょうか。政府は定期的に募集をかけていますから、該当する場合は所轄官庁へ積極的に働きかけていただきたいですね。
♦中国、米国、日本、韓国…半導体を巡る主要国の最新動向
製品を軸に経済安全保障を考える時、その中心にあるのは間違いなく半導体です。中国や米国をはじめとする主要各国は、どのような動きを見せているのでしょうか?
井形:中国はG7が終わったタイミングで、マイクロン・テクノロジーの製品を買わないことを決めました。G7の内容をかなり気にしていたことが分かります。私が懸念しているのは、中国が“アメとムチ”によって米国を孤立させるのではないかということ。中国に最先端の半導体を作らせないよう、米国・日本・オランダの3国は半導体製造装置の輸出規制という形で足並みを揃えています。仮に、中国が「悪いのは米国。圧力をかけられているのは分かっているから仲良くしようよ」と言って日本とオランダに何もしなければどうなるか。中国とのビジネスを望んでいる企業も多いわけですから、政府と民間の間に乖離が生まれるでしょう。その米国ですが、対マイクロン制裁への反応はさほどでもないというのが正直なところ。既に大統領選挙モードに入っていますから、中国との半導体競争を続けることは既定路線。今はさらなるサプライチェーン強靱化に向け、情報の蓄積に補助金を出そうという話になっています。
米国と中国が覇権を争っている半導体業界。日本はその狭間で復活の道筋を模索しているように見えます。昨年、トヨタ自動車やNTTなどの出資によって設立されたラピダスは、その象徴的な存在。先般は日本の官民ファンドが半導体材料世界1位のJSRを買収すると発表しました。日本だけでなく、アジアでは巨大メーカーを擁する韓国の動向も気になるところです。
井形:政府はラピダスへ2600億円の追加投資を決定しました。ラピダスの戦略は、ニッチな分野の製品を少量生産し、短い開発期間で顧客に提供すること。他企業とは勝負しないビジネスモデルなので、当たれば大きな利益を得られると思います。ただし、需要については若干の不安がありますね。民間からの投資資金が73億円と少ないのは、その点を疑問視しているからかもしれません。最後は韓国の動向。マイクロン製品の購入を止めた中国は、韓国のサムスンとSKハイニックスに声をかけました。韓国は売りたいけれど、米国が圧力をかけているので売ることができずにいるという状況です。韓国は新しい国家安全保障戦略を決めたばかりですが、経済面では中国とロシアにほとんど触れていません。足並みが揃っている日米豪とは少々立ち位置が違うのです。韓国は日本への投資にも熱心ですが、日本はサムスンが競合する台湾のTSMCと連携しています。今後は日・台・韓のバランスを注視する必要があるでしょう。
♦日本の競争力は今も健在? 先端技術に関する国際政治ダイナミクス
井形先生がシニアフェローを務めている豪州戦略政策研究所(ASPI)は先般、「先端科学技術の競争力ランキング」という興味深いデータを発表しました。これは経済安全保障上重要とされる44の技術について、過去5年間で発表された被引用数トップ10%の論文数を調査したもの。実用化につながる先端技術の研究を行い、実際にアウトプットしている国はどこかを客観的に示しています。
井形:「1軍」は、44の技術でトップ5に入っている中国と米国です。ただし中国が37の技術で1位を取っているのに対し、米国は7技術のみ。この結果は欧米に大きな衝撃を与えました。「2軍」はイギリスとインド、「3軍」は韓国とドイツです。日本はなんと「4軍」で、トップ5に入っている項目も4つしかありません。想像していた以上に残念な結果です。具体的な技術分野を見てみましょう。米国が中国をリードしているのは「高性能計算」「先端集積回路の設計・製造」「小型衛星」など、半導体、宇宙、医療関係の7技術。中国に大きな差を付けられましたが、まだそこそこ頑張っているという印象です。一方の日本がトップ5に入っているのは、「先端磁石・超伝導体」「連携フロー化学合成」「原子力」「量子センサー」の4技術。AIや半導体関連では頑張っていますが、先端素材の製造では下位に止まっています。しかも日本はトップ10%論文の相対シェアが下がっているだけでなく、論文の絶対数も減っています。分野を絞った分析「最も優秀なAI研究者の所在地・学部卒地」を見ても、日本は数値として上がってきません。マクロだけでなくミクロなレベルでも、日本の研究力は落ちているのです。とはいえ、応用技術ではまだ優位性を残した分野もあります。基礎研究の底上げを図るため、国としてどのような政策を取るべきなのかを真剣に考える時だと思います。
守るべき先端技術は少なくなりましたが、日本は「総合イノベーション戦略」を策定して先端技術の特定・育成・社会実装・保護に取り組んでいます。活動の基本にあるのは「知る」「育てる」「生かす」「守る」の4項目。井形先生は「守る」うえでの課題を挙げました。
井形:今年6月、産業技術総合研究所で中国籍の研究員による情報漏洩が発覚しました。モノ、カネ、サイバー面では守れても、ヒトを通じた情報の保護が不充分なのです。この点で貢献するのが、機密情報へのアクセス権を明確にするセキュリティー・クリアランス。整備が急がれますが、国会で法案が通るのは来年以降になるでしょう。4項目にはありませんが、最近の米国が行っているのは「(他国を)遅らせる」試みです。半導体規制自体が中国の足を引っ張る作戦ですし、直近では米国企業の中国投資そのものを止めようとする動きも出てきました。これが実現すると、同盟国も同調を迫られる可能性があります。「遅らせる」点については、各国が協調して知恵を絞っていく必要があるでしょう。
♦ネットワーク解析から見えてくる“中国地方政府の実効支配例”
FRONTEO山本からは「中国 陝西省による株主支配例」をテーマに、当社開発のAIを搭載した経済安全保障対策ネットワーク解析システム「KIBIT Seizu Analysis(読み:キビット セイズアナリシス)」の活用例を紹介しました。
山本:中国では中央政府だけでなく、数多くある地方政府も表から見えない形で各国の企業を実効的あるいは間接的に支配しています。今回は上海や深センに次ぐ重要な拠点である陝西省の例を見てみましょう。最初の例はブラジルのマンガン鉱石企業です。3段上で同社を100%実効支配しているのが、陝西省の人民政府。本来なら2段目に監督管理委員会を置いて投資を行うのが普通ですが、このケースでは陝西省傘下の民間企業が直接投資しています。何か特別な意味があるのかもしれません。
2例目は亜鉛を生産するカナダの企業。同社を好条件で買収した中国企業は、陝西省が所有する民間企業でした。最初の例と同じく、主要鉱物であるマンガンや亜鉛に関連する企業を意図的に支配している構図が見えてきます。
最後は世界的に知られる中国の大手メーカー。中間的に支配しているのは中国財政部と陝西省の財政庁、そしてよく出てくる監督管理委員会ですが、最終的にそれらを束ねているのは中央政府だということが判明しました。地方政府の支配で終わらない事例が存在するということです。
投資先・提携先の企業が、実は中国の地方政府や中央政府の支配下にあったという事例は充分あり得ること。経営者の皆様にはくれぐれも事実調査を入念に行っていただきたいと思います。