井形 彬氏
東京大学先端科学技術研究センター
特任講師
井形先生は海外での講演経験が多数あるグローバルで活躍する研究者。各国要人とのパイプも太く、現地を直接訪問してインターネットからはアクセスできない貴重な情報を収集・分析しています。
井形:各国で今最も重視されているのが、対「外」投資規制に向けた動きです。普通、投資規制というと対「内」を思い浮かべますよね。軍事転用が想定される中国企業に先端技術を持つ日本企業が買収されないよう、国が投資を規制するという形です。対「外」投資規制の方向はこの逆で、例えば米国は、国内企業の資金が中国の先端企業に流れることを禁止しようとしています。通りませんでしたが、2022年12月には「問題のある共産主義資本への投資を切り捨てる法案(DITCH Act)」が議会に提出されました。同じく否決されましたが、23年7月には「米国連邦政府職員の年金基金から中国企業を外す超党派の試み」が提出されています。これらは経済安保のロジックですが、最近は経済と人権のロジックからも対「外」投資規制の動きが顕著になっています。大統領選挙の行方は分かりませんが、誰が選ばれてもこの方向性は変わらないでしょう。この動きは米国だけに限りません。EUは経済安保戦略の実施に向けた政策パッケージに対外投資規制の議論開始を盛り込みました。英国は副首相が「対外投資規制に関するリスク評価とガイダンスを作成する」と発表。台湾は世界で唯一、対中対外投資規制の制度が確立している政府ですし、韓国でも学会を中心に対応を模索しています。今後の課題は、多くの制裁リストのある輸出管理と対外投資規制をハーモナイズさせること。同時に、先端技術を持つ国々が連携する必要もあります。
次に取り上げたトピックは「経済的威圧への対抗」です。ロシアや中国の威圧的姿勢に、西側諸国はどう対抗すべきでしょう。
井形:例えば中国の場合、ノルウェーには「サーモンの不買」、韓国には「ロッテマートの閉鎖要求」、オーストラリアには「ワインに高い関税をかける」「人種差別を理由にした留学生の引き留め」といった経済的威圧を行っています。輸入・輸出・留学生・旅行客といった経済活動に対して中国政府が介入することで、被害が増大しているのです。各国で経済的威圧の抑止・被害の軽減に向けた議論が進むなか、対応策として2つの方向性が見えてきました。一つは「懲罰的抑止」で、殴られたら殴り返すという報復的な内容です。これをやっているのがEUで、昨年末に「反威圧的措置規則(ACI)」が発効しました。中国がEU加盟国を威圧したら、EU全体で反撃する体制を整えたのです。もう一つは「拒否的抑止」で、こちらは殴られても平気なように予め腹筋を鍛えておくという内容です。具体的には「サプライチェーンの強靱化」と「被害に対する補填」が該当します。後者の手段で私が効果的だと考えているのは「応援消費」。ボイコットとは反対に、政治的な理由から特定の商品を購入するのです。中国は原発処理水の放出を理由に日本産海産物の輸入を停止していますが、日本政府は地方自治体や民間企業、他国と連携し、中国に依存しないサプライチェーンを作ろうとしています。その結果、ホタテの消費量が増えたことが統計的にも明らかになりました。他国がこの例に学べば、応援消費は経済的威圧に対する有効な国家施策になるかもしれません。
経済安全保障のキーポイントとされる半導体の動向。新たな動きは見られるのでしょうか?
井形:米中間の応酬は続いています。大統領選挙が本格化している米国は弱腰な政策を取れないので大量に補助金を使っているし、中国政府も調達規制を緩めていません。では日本はどうか。私は国際会議に出席するたびにラピダスのことで批判を受けるのですが、その理由は、海外から見ると出資比率が偏っているから。例えば、米国の半導体産業全体を見ると投資比率は官2:民8くらい。しかし、ラピダスには政府が累計で9000億円の投資を決定している一方で、民間の資金は73億円しか入っていません。批判はあるものの工場の稼働が見え始めたので、今後の民間投資に期待したいところです。
さて、半導体分野のキープレーヤーである台湾はどうでしょうか。同政府は最先端半導体を武器に有事を抑制する政策を取っていましたが、近年は日本の熊本など、海外に製造工場を造っています。これは国内製造だけでは圧倒的な電力不足になるからで、将来の半導体需要を考えた長期的な戦略です。
一方、米中の狭間で苦しんでいるのが韓国です。中国が韓国製の半導体を買おうとすると米国が韓国に「売るな」と言い、中国は韓国に「それはおかしい」と文句を言う。ただ韓国政府は半導体企業に補助金を入れていないので、「企業活動に関与していないから、売る売らないは企業の考え方次第」と答えている。賢明な対応だと思いますね。こうした動きから見えてくるのは、国際的な政策調整が必要だということ。各国がサプライチェーンの同じ部分に投資すると、そこがオーバーキャパシティになって共倒れが起きます。だからといって投資先を分けると国家間のカルテルになり、イノベーションを妨げてしまう。調整と競争のバランスが問われているのです。
多様化しつつある経済安全保障のトピック。半導体以外の動向も気になります。
井形:注目を集めているのは人権とビジネスを巡る動向です。ウイグル強制労働防止法のターゲットが新たな段階に入り、綿などの一次産業製品から高度な自動車部品などに変わってきました。しかも中国企業だけでなく、該当企業をサプライチェーンに組み込んでいる他国の企業も含まれつつある。怪しい物を使わない方向に動けば米国の思惑通りになるわけで、企業がどう切り抜けていくか試されているところです。さらに、EUでは強制労働製品の排除に向けた法制化が進行中。ウイグルに留まらないグローバル版の規制が始まろうとしているのです。経済安全保障に関して起きている様々な事象は企業にとってリスクですが、私は成長の機会にもなり得ると考えています。今はESG2の時代。リスクを特定・分析し、対処する能力が試されているのです。